狂気の味

朝、自分が発狂していることに気付いた。真っ暗な部屋で体を縮め手を引き攣らせ耳には自分の声か風の音か分からないがビリビリと空気が震える音が聞こえた。落ち着こうとミネラルウォーターに手を伸ばしたがなぜかぼくはそれに蓋ごと齧りつき、耳には轟音が鳴り響いていたが、あれは多分自分の唸り声だった。体を動かそうとしたが意思と無関係に四肢が這い回り思考は嵐か渦のように回転していた。ついに自分は発狂してしまったという恐怖が脳内に充満し、動悸が激しくなり、息苦しくなって、そこで目が覚めた。

体はベッドの上で部屋は真っ暗だった。遮光カーテンを閉め切ってるせいだ。時計を見ると朝7時、昨日一昨日と寝つきが非常に悪く、寝付いたのは5時近くになった頃だったと思うが、いずれも2時間ほどで目が覚めた。夢から覚めて、自分が狂ってないことに安心するより、異常な夢をみたことに恐怖を覚えた。鏡の前に立つ。目が赤い。昨日もそうだったが、ここ二日、どうかしてる。シャワーを浴びて出勤したが、行きはずっとなぜあんな夢を見たのか、そればかり考えていた。夢の中で、自分は狂ったと恐怖していたが、本当に狂った人間は自分の狂気に気付かないともいう。すぐに自覚出来たところからして、実際がどうかは別として、あれが自分にとっての狂気のイメージだったんだろう。本当は狂ったからといって今朝の夢の中の自分のようになるわけではないのだろうが、それでもあれは狂気だったように思う。今朝僕は息が当るほど狂気に近付き、その肌を舐めた気がした。

仕事はさっぱりはかどらなかった。寝不足のだるさと胸焼けがきつく、考えがまとまらない。長期休暇をとりたい衝動にかられたが、今日は一日中打ち合わせだらけで帰る頃には頭が別のことで塗り潰されて少しマシになっていた。運動不足が原因かもしれない。帰りは地下鉄を使わずに歩いて帰ることにした。50分ほど歩いてさっき帰宅した。

好きな小説の中に「犬博物館の外で」という本がある。この本の中で、主人公ハリーラドクリフはあるとき正気を失うのだが、シャーマンである老人ヴェナスクがハリーにオレンジを見せると、ハリーはそれを本だと答える。ヴェナスクはこの想像力溢れる答えに感激し、自分にも本の中身が見えないものかと、オレンジを鏡台箪笥の上に飾る。願わくば、同じ正気を失うにしてもこのようにありたい。

今日は早く寝よう。とても疲れた。